読書子

「子」というのは接尾語で、それの付いた動詞や名詞に従事する人などという意味を為す。
というのは、どっかからの引用だけど、まぁ、「売れっ子」の子の字と同じ意味ってわけで。


編者、編集者のことを、「編集子」って書いたり、「編輯子」なんて書いたりする。
岩波文庫なんかでは、読書する人のことを「読書子」なんて呼んでいるようだ。


先日、内部の配布文書で、「偏輯子」という言葉を使っているのを目にした。
偏っている…と、自嘲してわざわざそんな言葉を作ったのだろうか?


ちなみに「編」とは即ち「編む」。
本にすると言う意味。
「輯」はあつめる、おさめるという意味。
だから、編輯は集めて本にするという意味になる。
まぁ、編集と言う言葉は一般的だからそういうことを敢えて説明する必要はないだろうけど。


しかし、「偏」という漢字はいけない。
偏るというのは、釣り合いを欠いたり、不公平な取り扱いをすることをも指す。
これでは自嘲ではなく、尊大ですらある。
つまり、「私は文章を集めて(輯めて)、不公平な取り扱いをする人です。」と公言していることになる。


別に言葉というのは固定されたものじゃないし、語尾などは乱れやすいものだ。
しかし、漢字の意味も良くわかっていないのに、換えて使うのは如何なものか?
その筆者は、自分のことを「ウィットに富んでいる」とでも思っているのだろうか。
かなり恥ずかしい。


それとも、私が無知なだけで、流行言葉で使われてます?<「偏輯」