短編集

個人的に短編集が苦手な理由の言い換え。
備忘録的記述。


小説というものの「情報」としての姿を捉えると、「文字」の集まりからなっている。
これは当たり前のことだけれど、「小説」というものは、一つ一つの「文字」という記号を連ねる事でしか構成し得ない。*1
つまり突き詰めて一文字一文字に目を向けると、そこに書かれている内容は変質しない、かなりデジタルな存在であることに気づく。


けれど、多くの場合僕らは「小説」というものを「文字」の集合体としてのデジタルな存在だとは認識しない。
それどころか、進んで行間に書かれていることを読み解こうとするし、それによって筆者が描こうとしている風景に自分の持っているそれを近づけようとすらする。
喩えようとするまでもなく、文章を読むその作業は個々人の手によるデッサンである。
それは似顔絵を描く作業にも良く似ている。
ディテイルにこだわると上手く描けないし、全体を見失う。
大胆な線で描くことで全体をより正確に描くことが出来るわけだ。


その大胆な線で描くということはつまり、細い線を無視するということだ。
無視だと具合が悪いなら、細い線、薄い線を代表する太い線を見いだすことだ。
逆に太い線を見いだすのには、細い線の集合体が必要になるのかもしれない。

*1:挿絵とか地図とかが入ってきた時にはその限りではないけれど