ガス抜き

blog=ガス抜きシステムってのも強ち遠くない表現なのかも?とか、他人のを読んでて思ったり…


閑話休題、日本人って元々以心伝心を旨とする文化構造なわけです。
「言わずもがな」な文化ってことですね。
これは、島国という閉鎖系で単一民族だったために、国内に共通認識がある程度浸透していたということから来ているのだと思います。


これに比して欧米、特に亜米利加は明文化する文化構造なわけです。
明文化してねーもんは、無いものとされます。
一般常識とかいう形のないものは評価の対象ではないのですね。*1


一般常識というものは、その地域の住民の宗教観とか文化に根ざした共通認識に他ならないわけです。
そこで国内に目を向けると、多くの外国人を迎え、情報は溢れて、様々な考え方やスタイルが支持され、「個人」は多様化しています。
つまり、これまでの日本人然とした共通認識は崩壊しつつある状態だと言えます。
「個人」が多様化しているわけですから、倫理観やマナーに関する考え方も多様化していっているわけです。
つまりもう「言わずもがな」では伝わらない。
「常識」とか「マナー」とか「普通」とかいう概念の境界が極めて曖昧模糊として、それらを共通認識であると明言するのが難しくなってきています。


だからマナーってのは一から作っていく時代になっているのかもしれませんね。
と言うことは、マナーマナー言うのも強ち間違っていないのかもしれません。*2
言論とはつまり意見であり、意見こそが共通認識を形成するわけですから。


まぁ、そうであれば私が私見を述べてもいいということになりますかね?(^^;


公共の場所、誰もが入っていける場所で、混雑するような場所は良く「マナー」とやらが叫ばれるところではあります。
たくさんの人がいるということはたくさんの意見が集まる訳ですから、たくさんの「マナー」観があるでしょう。
けれど、たくさんの人がいると言うことはそれだけ騒然と雑然とするのは当たり前のことじゃないかと思います。
元々人間にはパーソナルスペースが存在するので、見ず知らずの他者が侵入する状態を快く思いません。
つまり混雑した状態というのは常態ではありえません。
そんなときの自分の精神状態を棚上げして*3、自分好みの行動を取らない他者*4を批判するのは如何なものでしょうか?


例えば映画。
友達同士やカップルで見に行けば囁きあうくらいはするでしょう。
一人で見に行けばそれが気になるかもしれませんが、そういうことに対して批判をする人というのは想像力が無いんじゃないかなと思います。
逆に人がたくさん集まる場所にざわめきが全くなかったら気持ち悪いことこの上ないです。
映画館や劇場というのは「人が集まるところ」です。
クライマックスシーンなどで思わず観客皆が漏らす「ため息」すらも楽しむ。
これが「集団で観ていること」なのであって、人の囁きやざわめきが気になって「リラックス」できないような人は一人でビデオでヘッドホンを付けて観たら良い。
少なくとも混雑した場所は避けるべきなんじゃないのかな。


何時から映画はそんなに高尚になったんですか?
映画にポップコーンは当たり前でしたよね?
オールナイト上映ってもっとユルーいもんじゃなかったっけ?
鼾かいて寝てる人とか居たりして…


満員電車のなかでも時折見かけますが、トゲトゲのオーラを纏ったウニの様な人は、自分の混雑耐性が低いことにいい加減気づいてくれると、少なくとも本人もその周りの人も少し楽になるんじゃないかなぁ。

*1:ま、ちょっと大げさに言い過ぎかもしれませんが

*2:文章を書いているウチに結論が変わってくることは侭あることです。(汗

*3:つまり、自分がイライラしているかもしれないということを考慮に入れずに

*4:それって当たり前のことなのに