牙のある時間 佐々木譲 著

牙のある時間 (ハルキ文庫)
一つのプロットを二つの「主観」で描いた物語。
「事実」の積み重ねではなく、双方の「主観」が鬩ぎ合う構造を取っているため、物語の「事実」に不確かな部分がある。
その不確かさが読者の「事実」認識を難しくし、不安感を増大させている。
プロットは単純極まりないが、静かな恐怖感がある。


物語の根幹と、それぞれの主張の食い違いを明らかにするためには、再び精読する必要があるのだろう。
一覧表などにして…
私はそこまでの熱意は無かったので、気になる部分だけ元に戻って読んでみただけだけれど。

「つぎのお楽しみの件だろう。わかってる」
「と言いますと?」
「ごちそうすると、約束した件だ。じつは材料も仕込んで、冷やしてあるのさ。期待してくれ」
「何を冷やしているとおっしゃいました?」
「ごちそうの材料だって」
「いったい何です?」
「そのときのお楽しみということにしておこう。たぶん、きみは未経験だな。まだ味わったことはないはずだ。」

物語の核心に思われる上の部分に関しても、「主観」であるため「妄想」である可能性や、自己弁護の嘘である可能性も否定できないのだ。
全く良くできている。


この物語には直接的関係はないかもしれないが、狼に対する人間の間違ったイメージはかなり固定化されているのが良くわかる。
関係がないというのは、この物語で登場する「狼」「人狼」と言ったモノは、狼のこどもに咬まれた感染症の比喩として登場するだけのものだから、本来の狼の生態になんら関与することはない筈だからだ。
とはいえ、実際の「狼」を絶滅に追いやったのが「人間の妄想上の恐怖」であったことを考えると、本作が「狼」を「妄想」そして「恐怖」として捉えているのと符合するところがある。
もしかすると筆者は、狼の本来の生態を知った上で、「妄想上の恐怖=狼」と規定したのかもしれない。
まぁ、穿ちすぎかもしれないが(^^;